フィード:
投稿
コメント

‘Investigación’ カテゴリーのアーカイブ

空港でトイレにこもっているとき、放送でぼくの名前が呼び出された気がした。一瞬ぎょっとしたけれど、ぼくの名前は比較的よくある名前だし、何よりもフライトまではまだ1時間半もある。呼び出される理由なんてない。でも、ロビーに座って本でも読もうと思った瞬間、また俺の名前がコールされる。「ええと、いま呼び出されたんですけど」とカウンターに出向くと、「本日はビジネスをご用意いたしましたので、そちらへ」という驚愕のオファー!なんでもエコノミーが満席で、よく分からないけどダブルブッキングだったのかも。理由も聞かず、いかにも慣れているかのように「ああ、そうですか」とだけ答えて代わりのチケットを受け取る。
人生二度目のビジネスクラス。結論から言うと、何あの格差社会?!って感じです。まず座席が広いので、足が伸ばし放題。背もたれは極限まで倒すことができる。つまり、飛行機にいながらあたかも自宅のベッドのように身を横たえることができる。Aからは様付けで呼ばれる。食事は普通においしいといえるレベル。前菜からしてオサレ。メインもホタテとかフィレ肉とか。ワインも上等のが出てくるし、CAの気遣いもエコノミーのそれとは格段に違う。なくなりかけるとすかさず注いでくれる。おかげさまでひとりでボトル1本は空けたと思う。さすがにお腹一杯になったのでデザートはパスし、食後酒にコアントローを頼む。座席にはコンセントもついているので、数時間は仕事に没頭することもできた。パリに到着して席を立ったときに気づいたのだが、後ろの席に座っていたのは俳優の奥田詠二。渋かった。
というわけで、比較的興奮しながらのパリ到着となりました。パリの宿はモンパルナス界隈にとる。夜はパリ在住の後輩とその友人と合流し、映画館近くのレストランで羊のローストを食べる。そこそこうまかった。

投稿の続きを読む »

proyecto de tesisのmemoriaが必要だというので、せっせと書いていた。docenciaとinvestigaciónの関係性を説明するように、とのことなんだけど、そんなのどうやってでっちあげりゃいいんだよと思いながらも、昔に提出したレポートの数々を見返してみると、一瞬にしてそれに取り組んでいたときの心境やら風景やらが思い浮かび、スペインの懐かしさにやられてしまいそうになった。といってもこれは決して甘酸っぱい感情ではなく、うーむ、あの時スペイン語のレベルが大学院のレベルに追いつかなくて毎日必死だったよなあという、まるで不肖の息子を愛憎半ばに見つめる父親のような気持ちだったのだ。って書いたところで意味不明だし、だいいち俺にはまだ息子どころかこどもすらいない。
分量はA4で10枚以内にまとめよとのことだったんだけど、もちろんそんなに書くわけもなく、5枚半ほど書いてから、Robertoのオフィスに電話し、ネイティブチェックをお願いする。彼が帰宅する前に20分ほど原稿を見てもらう。彼のおかげでぼくは少なくとも週に一度はスペイン語を話せている。この前なんて、寒いのに二人して外でお弁当食べたんだぜ。男二人で。

投稿の続きを読む »

二度の海外出張の影響はことのほか大きく、研究費の残りが数万円レベルになっていた。嗚呼。来年は4割くらい減額されるので、もうちっと配分を考えねば。

投稿の続きを読む »

最近、珍しく寝不足気味だ。2時間、2時間、10時間、みたいな大変不規則な毎日。日中は眠気との戦いでした。というのも、出張や何やらで締め切りに遅れている原稿があったから。ようやく、今朝4時くらいに提出した。
原稿用紙40枚程度だったので、まあすぐに書けるでしょと思ったら、予想以上に苦戦した。テーマはplan territorialで、ぼくはESPの事例の担当。ぼく自身、ESPの広域プランについて勉強不足だったことが思ったより執筆に時間がかかった原因。まだまだ勉強することは多い。でもこうして執筆の機会をもらうことで、ぼく自身もすごく勉強になる。何といっても、短期間に集中して文献を読み込めるのがよい。今回は1週間で3冊読んだ。一番使えなさそうと思っていた本が一番参考になって、もっとも頼れると思っていた文献がまったくといってよいほど使えなかった。
やはりバスクとカタルーニャは先進的だ。この2地域は中央に対して反抗的だと考えられているけれど、少なくとも都市計画分野に限っては、国の制度をもっとも理解してそれをフルに活用している。その意味で、先進的なのだ。

投稿の続きを読む »

船便で送った書籍20kgが届く。またもや1週間で着いた。ぼくは以前、船便で送ったら2.5ヶ月(!)かかったことが2度あって(ペセタ時代の話だけれど)、あまり積極的には船便を活用してこなかったのだが、最近のスペインからの船便はとても早い。じつは空路で送ってるんじゃないだろうか。KGくんなんか、帰国時にSAL便と船便で荷物を送ったら船便の方がはるかに早く到着したらしいし。

投稿の続きを読む »

早起きして身支度し、張り切って外に出る。昔、何度が言ったことのある市場内のカフェでハモンセラーノのボカディージョとカフェ。朝早くの、町が動き出す寸前の空気はなんとも言えず心地よい。おまけに今日はバルセロナ・ブルーの空が広がっている。
アルチウで資料集め。コピーも存分に使わせてもらう。ジャルマとエドゥアルドの掛け合いが漫才みたいで、机に向かいながらも思わず笑ってしまう。その後は、二人と30分ほど話し込んでしまった。ジャルマはテレビで見たとかで、どういうわけか日本の「引きこもり」現象について知っていた。
12:00~14:00までETSABにてフェランとインタビュー+打ち合わせ。この人は本当にぼくがやらんとする研究内容を理解していて、かつぼくのこともとてもよく理解してくれていて、うれしくなってしまう。昨晩、マウリシオと飲んでいたときに、「(その先生でよかったと思える)よい指導教授と巡り合えたのって、すごく幸せだぜ?」と言われた言葉を反芻する。これだけは、本当に東京でもBCNでも恵まれた。彼らのおかげで、いまのぼくがあるのは間違いないのだ。

投稿の続きを読む »

19:00から論文発表。スペイン人の教授5人を前に日本人がBCNの研究論文を発表する、というのも、冷静に見るとなかなか面白い。QAセッションは、ちゃんと反駁できたのもあり、ちょっとそれは的外れだなあというのもあり。往々にしてありがちだが、教授の間で別の議論が始まったり。こちらの人は抽象的な議論にけっこう大きなウェイトを置いていることを再認識。まあぼくはぼくでcentro historicoの概念議論はちゃんとしたのだけれど、espacio publicoとは?とかそもそもespacio publicoというものは定義できるのか?とか、なかなか日本語でも答えるのが難しい(あるいは日本語だから答えるのが難しい)質問もあった。まあともかく、とても刺激に満ちた2時間だった。
帰り、遠回りして魚屋に寄る。とても混んでいたが、定位置(電話の下)にいくとすでにぼくの鰯とワインが置いてある。ホセマリアが目配せ。仕事後の魚屋、彼らとの会話、旧市街の空気、歩きながらの空想。これ以上、何を望もうか。

投稿の続きを読む »

朝早くの便でBCNに戻ってくる。ホテルに着いたのが正午前。その後、ひらすら調査&作業。体は疲れていたが、意識は覚醒していた。昼食は近くのカフェで軽くボカディージョで済ませ、夕方前まで作業。16:30にFerranとmtg、2時間ほど議論をつめる。
帰り際、とても久方ぶりに癇癪玉ことミケル・ビダル先生と遭遇する。懐かしくなって、少し近況報告したら、先生がまず一言「君、スペイン語上達したね~」。思わず吹いた。だって、今回の滞在で少なからずげんなりしたのは、ぼくのスペイン語がかなり怪しくなっていたことなのに(ま、元から怪しいスペイン語には違いないのだが)。でもよく考えてみると、ぼくが彼の授業をとって課題の発表をやっていたのは留学半年くらいのときで、そりゃ比較対象があの時だったら上達したと思うわな。そういえば、携帯を変えたときに昔の電話帳に入っていた友人に電話をかけまくったのだが、留学して本当の最初にできた友達のQuimとおそらく3年半ぶりくらいに話したときも同じことを言われた。とほほ、最初の1年の俺のスペイン語って、そんなにダメダメだったのね。ビダル先生とは、5分弱だったけど、メトロの駅まで歩きながら話す。
空腹を感じたので、宿近くで手ごろなレストランを探し、夕食をとる。肉厚のイカがおいしかった。

投稿の続きを読む »

ぼくが発表するセッションは午後4時から。会場に入り、とりあえずモデレーターの先生(デンマーク人)に挨拶し、助手の方に発表用PPTを渡す。そして、会場の後方に陣取り、脳内で発表練習開始。…と思いきや、開始時間の直前、壇上に呼ばれる。ちょ、ちょっと、これって普通の学会発表じゃねーの?もしかしてオイラってばパネリスト扱い? 机に高そうな水とか置いてあるし!ってわけで、なんだかとても動きの取れない2時間を過ごすことになった。
発表はまあ、なんとかこなしたけれど、英語の訓練の必要性を痛感した。ぼくは「日本人にしては」英語はまあまあ話せる方だと思うけど、それはあくまで「日本人にしては」であって、こうしてみんな何の困難もなく英語を話している中に身をおくと、どうしても「英語の下手な日本人」代表に格付けされることになる。国民のみなさま、すんませんでした。なーんてね。というか、準備不足がたたった。本論のプレゼンテーションよりディスカッションの時のほうがペラペラ喋っていたと思う。でも、最後の方でぼくに質問が振られて、適当に答えたんだけど、オーディエンスの反応がすーっと引いていくのがなんとなく分かった。要するにぼくの答えが質問の意図からどんどん離れていったのだろうけど、あの感覚は独特でした。ま、そういうのも含めて、大変勉強になりました。
その後、シャンパン・ブレイクや国際学生コンペの授賞式、簡単な夕食会があったのだけれど、やたらめったらスペイン語圏の人と知り合った。というか、スペイン語が耳に入ったらすべからく声をかけただけなんだけども。プエルト・リコ人×2、スペイン人×2(ELISAVAのカタラン人+グラシア在住のバスク人の土木技師)、コンペで3位に入選したメキシコ人学生(夕食時におめでとう、と声をかけたことから話が弾んだ)。そして帰りのバスの中で、彼らと軽口を叩いていたら、通路を挟んで横に座っていた中南米人2人組から、突然「エレン・バロッソの知り合いじゃない?」と声をかけられた。知り合いも何も、エレンはぼくのBCN時代の大親友だ。じつは彼らの片方の女性は、2004年にBCNでIPHSがあったときにエレンの紹介でぼくと会ったことがあるらしい。What a small world. そんなこんなで、バスを降りてからみんなで一杯飲みにいった。疲れていたけれど、それなりに楽しい夜ではあった。
面白かったのは、彼らの多くに「君のスペイン語は、本国で勉強した人の発音・アクセントだね」と言われたこと。ぼくは親友のほとんどが中南米出身だし、同居していたのも継続して中南米人だったせいもあって、BCNにいるときは中南米人にすら「お前は中南米人のアイノコみたいな喋り方をする」と言われたりしたものだったのだけど。帰国して時間が経って、2週間弱スペインでスペイン語回復に努めたからだろうか。不思議な体験でした。

投稿の続きを読む »

10:30から1時間半、Ferranとtribunalについての作戦会議。とてもよいアドバイスをもらったのだけれど、先生それあと2週間前に言ってくださいよ。ただでさえスペイン語がだいぶん衰えた状態で来ているわけですからワタクシ。論文そのものの内容についてというよりも、枠組みの見せ方をどうするかについて議論する。最後に、Ferranが委員会に提出したInformeをもらう。指導教官が書く自分の評価書って面白い。その文面の中で、BCNと東京の比較研究がいかに意義があることかが力説されていて、思わずにやけてしまった。
今日はひたすら作業+調査で終わりそうです。
(いつもは違うのかよ、というツッコミはなしの方向で)

投稿の続きを読む »

朝から学校の図書館で調べもの。S教授と合流し、まずAteneu Popular de Nou Barrisへ。でもTrinitat Vellaだと思ってたらじつはTrinitat Novaが最寄の駅だったという、とても単純なミスを犯してしまった。あのあたりは、在住暦が長くてもあまり積極的には出向かないところなんだな。アテネウのディレクターたちは英語に堪能というわけではなかったので、少し補助した。でも、こういう地元色が強烈なところのスタッフまで英語喋るんだね。感心した。アテネウの活動はとても興味深かった。詳しくは書かないけれど、integracion socialの第一歩であることには違いないだろう。ランチは、アテネウの建物内にあるバルでとる。特においしくはないけれど、家庭料理風のほっとする味だった。
ポブレノウへ移動して、HANGERでインタビュー。個人的には市の22@との関係が気になった。敷地も議論の絶えないCan Ricart。内部に入って写真取れたのはよかった。主に民主化後からポブレノウには独立系のアーチストが居住し始めて、このアトリエはアーチストたちのコラボの先駆けなのだろうけれど、やはりぼくには彼らのこれまでの活動経緯と彼らのアトリエの眼前で繰り広げられている再開発に連関は見出せない。じっさい、Can Ricartは陸の孤島になってしまっている。こういった囲い込みは、90年代以降の市の常套手段なのだ。

投稿の続きを読む »

朝一番から、大阪市大のS教授と調査をご一緒する。ぼくは通訳補助(彼らが英語を話せない場合に)+プランナーとしての論点の提起が役割。まずは市の文化局のJordi Pascual氏。Agenda 21をはじめとするBCNのpolitica cultural全般について説明を受ける。
昼過ぎからは22@SA。ここには留学時、N山教授とともにインタビューをしたことがある。説明はとても整理されていて素晴らしかったのだけれど、どうもしっくりこない。プロパガンダの側面があまりに強すぎるのだ。この再開発事業はコンセプトレベルではとてもよく練られていると思うけれど、そのツールならびに実際できつつある空間はあまりに問題がある。手法的には、日本で言う特区的な考え方が原則にあるので、コンパクトシティを標榜している都市としては時代遅れと言われても仕方ない。用途の混在を打ち出してはいるものの、お情け程度に過ぎない。街区での将来的な生活像がビジュアライズできないのだ。
こちらの人ってスタンディング型の建築をつくりたいのだろうな、と思う。セルダ街区を引き継いで、囲い込み型の街区としてうまく造形するのは流行じゃないのだろう。JJOOのころと違い、市も建築家もBCNらしいソーシャリズムを忘却しつつある感がある。ぼくの想像力が欠乏しているからだとは思うけれど、22@事業がポブレノウの「伝統的な雰囲気を継承」(プランの文言)しているとは到底思えない。PNの旧市街はとても親密な雰囲気に満ち溢れているのに、一歩その外側に出て再開発地区を見ると、そこに広がるのは狂喜乱舞する現代建築。がっくりきてしまう。El proyecto de 22@ no tiene nada que ver con el resto de Poblenouと意見したのだけれど、それに対する応答がこれ。「ああ、でも旧市街は事業範囲外ですので」。あちゃー。PR部門のトップの答えがこれじゃあ先が思いやられる。だって、こんなのどこの側面から見てもPNの既成市街地を囲い込むだけじゃないか。彼らは発表慣れしていることもあるのだろうけれど、全般的に機械相手に話をしている気持ちになった。もうすでに彼らの中に問答集があるんだよ、あれは。特に批判に対しては。保守的な行政を相手に質問しているみたいで、正直あまり気分はよくなかった。
ここで午前中のパスカル氏の話を思い出した。BCNは民主化~JJOOまでの間にあらゆる社会階層を巻き込んだ一大社会運動が生まれ、最終的にひとつの政治モデルにまで昇華されていったわけだが、現在の市は当時の体制への回帰を少なからず希求している、というのだ。それが本当であるならば、22@はまったく逆の路線を走っている。頭ばかりがでっかくなって、自分がどこを走っているのかが見えていないんじゃないか。ま、とても興味を惹かれるプロジェクトには違いないので、今後も追い続けます。近いうちに一本論文を書けるといいなあ。
その後、Interartsへ。なんだか活動内容がよく分からなかった。最後に、UBの地理歴史学部のLluis Bonet教授を訪ねる。文化観光の専門家で、ぼくは彼がBCNの観光効果について書いた論文を読んだことがあった。気のよい先生だったが、カタラン主義的なコメントがそこかしこに顔を覗かせていた。彼のお父さんはサグラダ・ファミリアの修復に関わった建築家らしい。
1日に4つもインタビューをこなすと、さすがにぐったりする。そして、活力漲るカタラン人知識階級に連続で密度濃く触れて、カタラン人疲れした。移動途中に乗ったタクシーの運ちゃんとのサッカー談義にどれほどほっとしたことか。カタラン人って独特の威力があるからなあ。迫力というか。ちなみに今日お会いした男性は、Bonet先生以外は全員Jordiという名前だった(ちなみに先生のお父さんの名前もJordiらしい)。

投稿の続きを読む »

できれば顔を出したくなかったのですが、事務手続きが必要だったので顔を出してきました。丸太&ヌリアが鎮座する事務所へ。そうそう、この感覚!この、恫喝されてる感覚!!ってホント勘弁してくださいよ。丸太もヌリアも、まあそれはそれは素晴らしい感じにつっけんどんでした。1年ぶりなんだから、ちっとは懐かしがれよな。世界中の誰よりずっと愛想がないふたり。彼女たちに比べたら、職場の事務なんてかわいいもんです。
tribunalの詳細が決まった。Ferranの他には、ななななんとManuel Torres Capell!そんな大御所が俺の発表に!?うれしい反面、たちまち気が重くなってきた。ぼくの研究分野で言えば、外国人がIY先生の前で東京の計画史を発表するようなものです。これにMaria Ruberto de Ventos先生とIsabel Castiñeira先生。どちらもよく知らない先生。授業をとった覚えもない。最後に、外部からRosa Tello先生(バルセロナ大学)。半分以上が女性教授。Sea suave…
夜、練習が終わったTAKA夫妻と魚屋へ。彼らは外国滞在者にありがちな気負いや嫌味がまったくなく、一緒にいてじつに気持ちがよい。お土産(味噌ラーメン)もとても喜んでもらえてよかった。滞在中にもう一回くらい飲みたいね。

投稿の続きを読む »

時差ぼけのせいか朝早くに目が覚めたので、海岸線をディアゴナル・マルまで30分ほどジョギングする。思ったよりも多くの人が走っていた。
朝食後、三好さんと待ち合わせ、仕事関係の写真を撮りに出かける。Torre Agbarに9:00集合だったのだけれど、途中で声をかけてきたエクアドル人の学生に道を教えてあげてたりしたら遅刻してしまった。その後はひたすら調査。三好さんとはいままで散々BCNの都市空間について議論してきたけれど、踏査をご一緒するのは今回が初めてだ。一緒に歩きながら、建築と都市の視点の違いがとても勉強になる。たとえばヌーベル設計の公園。柵がもったいないねという話と、ディアゴナルに面している敷地に公園を整備する発想じたいがやはりすごいという話。
22@⇒ディアゴナル沿いの開発⇒22@⇒ディアゴナル・マル⇒フォーラムを回る。だいぶん写真のストックができた。Forumで開催していたBarcelona projectaを見る。これはBarcelona progresの発展版で、現在進行中のプロジェクトの図面や模型が広い展示場に設置されている。うまくいきそうなプロジェクトと難しそうな(あるいは空間的に価値が減少するんじゃないかという)プロジェクトの差異が明白で興味深い。都市再生に成功したBCNが向かう次なるステップは、案外雲行きが怪しいのではないかという個人的な仮説は、じつはそんなに間違っていないと思った。まあ、いずれにしても、賛否はあれど進行中の事業をビジュアルに展示する壮大な努力は、BCNの面目躍如だと思った。でもForumは遠いよ…実際、中はがらがらだったし。ディアゴナル沿いの開発に夢中で、フォーラム近辺の整備を忘却してるんじゃないの?と思った。じじつ、Rambla de Primとのつながりもよくわからないまま。異なる特質をもつ各界隈を統合していくその妙こそが、BCNモデルの真髄のはずだけれど、グロリアスから海へと向かうその両側の界隈は、どうも明確な戦略に欠けているように思う。事業の連鎖的展開があるわけではないし、大部分は民間事業だから風景の統一感もまるでない。新規住宅は安普請で、壁なんかぺらぺら。一目見るときれいなんだけど、どこか新品の消しゴムみたいに映る。いっそのこと、安いestudioを増やして学生街でも計画すればいいと思うよ、皮肉でも何でもなくて。
昼に一度三好さんと別れ、ぼくは旧市街の多孔質化事例の写真を撮りに行く。ample通りで、自転車に乗った兄ちゃんが声をかけてくるから誰かと思ったらpapabubleのトミーだった。久々だったけれど、10分くらい立ち話。10月に東京に行くから会おう、と話。今度NYにも出店するとのこと。
昼食は三好夫妻とバルセロネータのKaikuへ。夫妻お薦めの店で、メニューはカタラン語のみ。だいたいにおいて、こういうレストランはおいしい確率が高い。実際、たいへんおいしかったです。フォアグラのサラダ・ラズベリーソースとハモンセラーノ・無花果+キャラメリゼした玉ねぎ添え、マッシュルームをまるごとコロッケ状にあげたもの(絶品の一言)、ホタテ(甘酸っぱいマスタードソースとよく合う)、野菜のパエーリャ。今日はとても温暖だったせいもあってやたら賑わっている浜辺を見ながら、テラスで食べる。海風がほてった頬に気持ちよい。幸せな昼食でした。
夕方帰宅、宿近くのスーパーで買い物。夜は軽くトマトソースのパスタで済ませる。
机に向かい作業を開始するも、強烈な眠気に襲われ、22時前に床に就く。

投稿の続きを読む »

今日はみっちり調査をする予定だったのに、のっけからつまづいた。というのも、携帯電話が止まってしまったからだ。いやー、昨日から電源は入っているのに繋がらないからオカシーなと思ってたんだよ。vodafoneショップに行ったら、está desactivadoってアンタ!話によると、recargaが切れた状態で半年以上経過すると使えなくなるらしい。そんなん知らんがな。今回の滞在は比較的長いし、先生や友人と連絡手段がなくなるのも不便なので、仕方なくFNACで一番安いのを買う。何この留学したての2003年7月みたいな状況は。
***
COAC⇒行きつけの古本屋で文献チェック。残念ながら、とくに興味を惹くものはなかった。あー買っとくか、というレベルの本はたくさんあったけれど。
その後、アルチウへ。Eduardoがニコニコしながら手を差し伸べ、ぼくを抱きしめる。すげー肉厚なんですけど。肉厚なんですけど!!ぼくのことを懐かしがってくれる人がいるというのは、やっぱりうれしいね。奥からGermàも出てきて、再会を喜び合う。そしてFOCIVESAに関する新しい資料をくれた。留学時代には、ここは俺の研究室かというくらいの頻度で通い詰めていたからか、アルチウの人々は本当によくしてくれる。今回は旧市街のリサーチというわけではないけれど、時間を作って少し通おうと思う。
1時間くらい調べものをした後、かつて住んでいたロカフォルト界隈まで歩く。mercadonaの内部空間が劇的に変わっていた。まるで別のスーパーみたいだった。タラゴナ駅からメトロに乗り、大学へ。ガラガラの6階PCルームで発表用PPTの作成を進める。

投稿の続きを読む »

古い投稿 »