KGくんがめでたく博士論文を提出したということで、彼の就職祝いも兼ねて、久しぶりにわが家でフィエスタ。アトゥくんは来られなかったけれど、代わりにグッチ夫婦を招く。ここは夫婦揃って建築稼業なのだが、奥さんは何と上海から帰国しそのまま直接わが家に来たとのこと。ぼくは奥さんのことはあまりよく知らないけど、このノリは100%グッチのそれだ。
まず近くのお好み焼きやで軽く飲み食いしてから、わが家でスペイン的に飲む。ぼくがかつて住んでいたロカフォルト通りに因んで、わが家はBar Rocafortと呼ばれている(正確には、呼ばせている)。魚屋サラダをつくり、ポロンでワインを飲む。BGMにはテテ・モントリウ。これは寸分違わず、BCN時代の週末の夜の風景だ。みんなBCN留学経験者なので、何の躊躇もなくジョアキン・コスタ通りとか現地の地名がバンバン飛び交う。
酔っ払ったグッチが相変わらず面白い。酔っ払った彼とぼくは、口からでまかせスペイン語でペラペラと会話したのだが、まったくもってコント風であった。
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そういえば先週末、健康診断の結果が返ってきた。いやはや自身の健康ぶりには参った参った。まあ去年の帰国直後のぼくがデブだっただけなのかもしらんが、とにかくあらゆる数値が改善されていた。体重も1年で5.4kg減で、ようやく標準体重+2kgまで戻った。
何か特別なことをしたわけではなく、9月、10月と連続でスペインへ研究出張して戻ってきたらやせ細ってたという摩訶不思議。東京に戻ってきて去年、あまりに周りから太った太ったと言われたもんだから、がんばって週3ほどジムで筋トレ+ランをこなしてもさしたる効果がなかったのに。BCNでは一日2回は魚屋に詰めてたし、夜は夜でほとんど誰かと会って盛大に飲んでたわりに、ほっそりとなって帰国、痩せた痩せたと皆に言われ、こそばゆい気分になる。しかし日本人は肥えた痩せたを言い過ぎだわな。他に言うことないのかしらん。まァ、でも、数週間仕事で行くBCNが一味もふた味も違うのはじじつで、ON・OFFのメリハリがはっきりしていたのがよかったのかもしれない。
文献調査は確かにかったるいけれども、乗ってくるとちょっとこれは麻薬的に楽しくもあり、そのせいで昼食がホテルの朝食からくすねてきたゆで卵のみだったりした日も何日かあったから、やっぱり一日の総摂取カロリーは低かったんだろう。
memoria mía, memoria otra
BCN, Investigación へ投稿: 12月 3, 2007 | コメントする »
proyecto de tesisのmemoriaが必要だというので、せっせと書いていた。docenciaとinvestigaciónの関係性を説明するように、とのことなんだけど、そんなのどうやってでっちあげりゃいいんだよと思いながらも、昔に提出したレポートの数々を見返してみると、一瞬にしてそれに取り組んでいたときの心境やら風景やらが思い浮かび、スペインの懐かしさにやられてしまいそうになった。といってもこれは決して甘酸っぱい感情ではなく、うーむ、あの時スペイン語のレベルが大学院のレベルに追いつかなくて毎日必死だったよなあという、まるで不肖の息子を愛憎半ばに見つめる父親のような気持ちだったのだ。って書いたところで意味不明だし、だいいち俺にはまだ息子どころかこどもすらいない。
分量はA4で10枚以内にまとめよとのことだったんだけど、もちろんそんなに書くわけもなく、5枚半ほど書いてから、Robertoのオフィスに電話し、ネイティブチェックをお願いする。彼が帰宅する前に20分ほど原稿を見てもらう。彼のおかげでぼくは少なくとも週に一度はスペイン語を話せている。この前なんて、寒いのに二人して外でお弁当食べたんだぜ。男二人で。
仕事後、ホニャララ会議と銘打たれた、とある勉強会にてレクチャーをする。まあ、ぼくにレクチャーの声がかかるとき、トピックは常にBCN。久しぶりに気合いを入れて準備した。といっても、その意気込みは最初だけで、結局お得意の旧市街の話がメインに。最終的には公共空間論を展開したかったのだけれど、日本人であるぼくは、まだそれを平然とした顔で論じるにはいささかの躊躇を覚える。レクチャーのあとは懇親会。同郷のイワサキと、県人寮のデカダンスさについてトークを繰り広げた、比較的せわしない一日。
15:30の便だったので、お昼までめいっぱい動き回る。サンタ・カテリーナ市場のバルでいつものようにボカディージョ+カフェの朝食をとり、まずは取り残した写真の撮影へ。主にランブラ・デル・ラバルの周辺。朝日が強すぎて、光が写真に出すぎ、どうにも好ましい雰囲気が撮れない。こういうのはちょっとしたテクニックで結構うまく撮れそうだから、誰か専門的に勉強している友人に聞く必要がある。
ジョアキン・コスタ通りを上り、MACBAへ。MACBA前の広場では、Tot Ravalが子どものためのイベントを開催していた。広場にテントを張り、その前にラバル地区の大きな航空写真。こうして自分の住んでいる地区をビジュアルに見せるだけでも、彼らがシビック・プライドをもたせるきっかけになるのではないかと思う。アルチウへ顔を出し、いくつか資料をコピーさせてもらった後、ジャルマと話す。残念ながら、エドゥアルドは席を外していた。
その後、エレンと落ち合い、カフェ&マトリクラのお金192ユーロを払う。いくつか細々と買い物をしたあと、最後の魚屋へ。やはり朝の魚屋はよい。何ものにも変えがたい。何といっても、ペペがのんびりしているのがいい(彼は忙しくなってくると、表情がグルーミーになることがたまにあるのだ)。ぼくの魚屋の風景は、基本的にエミリオ時代のもので、そのときは接客担当がペペで、とにかく楽しいカマレロだったのだ。ぼくが朝の魚屋を好きなのは、たぶんその時代のことを思い出すからなのだろう。
路地側のカウンターに肘をつき、キンキンに冷えたキントを飲んでいると、ペペが「帰るのはいつ?」「ええと、今日なんだけど」「飛行機で?」「por favor!船でもいいけど、どんだけ時間かかるって話よ」「自転車で帰ってもいいんだぜ?」(ニヤリ)という会話。この会話をきっかけに、カウンターにいた常連さんと話が盛り上がった。荷造りが完了していなかったので魚屋は早めに切り上げて宿に戻る予定だったのに、すっかり遅くなってしまった。ペペ&ホセマリアと固く握手、そしてバイバイ。フランスへの出張で肉体的にも精神的にもぼくはすっかり疲弊してしまっていたのだけれど、いつものように魚屋に癒されぼくは帰国の途に着く。
10:00にETSABでインタビューを兼ねてフェランとミーティング。 2時間ちょっと。半分は今回の仕事+研究について、残り半分は某プロジェクトの提案。とても興味を惹かれるプロジェクトで、ぜひ実現できるといい。ぼくの経験を最大限に活かすことにもなるし、これは彼とぼくだからできるものだと思う。大変有意義なセッションでした。これこそ、留学で得た人脈ってやつだろうな、たぶん。
お昼はエレンと待ち合わせ、ウルキナオナの行きつけレストランへ。ここは特にすごい料理を出すわけじゃないけど、しっかりと素材を活かした味付けがおいしい。思えば、恩師のNY先生とも来た。今日は一皿目にarroz marisco(でもこれはなかなかメヌーに出てこない。食べたのはおそらく4年ぶり!すこしリゾットぽいのがおいしい)、二皿目は羊のロースト。ここは盛り付けに工夫があって見た目に楽しい。大衆的なレストランが、盛り付け方に工夫を凝らすのは、じつはけっこう稀なのです。
COACの図書館で調べ物をしようとしたら、再び改装中…。仕方ないのでCOAC書店で、いくつか書籍を購入。全部で100ユーロちょっと。さすがにこの前来たばかりだから、目ぼしい本はない。10月に行われたばかりの改正土地法の解説本やquaderns最新号などを買う。
今夜はアレホの誕生日フィエスタ。その前に森田さんと一瞬落ち合い、今日二度目の魚屋へ。混んでいたので、ビールだけ注文して路地で飲んでいると、声をかけてくる人がいる。誰かと思って振り返ると、パパブブレのトミー!いやー、ここのところよく会いますね~。5分ほど立ち話。アレホ&サンドラのピソへ。集合が九時で、ぼくが到着したのは九時半すぎだったのだけれど、すでに10人くらい人がいた。案外パンクチュアルじゃないの。誕生日を祝いに来たのに、二人から思いがけぬプレゼントをもらった。不意打ちだったけど、気遣いがうれしかった。マウ&サンドラも来る。年越しフィエスタで一緒だったアンドレスやイバンも声をかけてきてくれる。特にアンドレスはとても陽気な人で、かっぱこがよく君のこと話題に出すよ、といったらすんごい笑顔になっていた。よっぱらってタクシーで帰宅。夜はだいたいこんな感じで誰かに会い、帰宅は深夜過ぎ。よって睡眠不足気味である。
朝一番にPROEIXAMPLEにてインタビュー。旧市街の公社(FOCIVESA)と比べると、官僚的な感じがして、やや居心地が悪いのが難点だが、こちらの質問には丁寧に答えてくれる。ま、受付のお姉さんがとても愛想がよかったので助かりました。パティオの再整備プロセスはなかなか興味深い。次回来るときには、より具体的な事例をもとにインタビューをしようと思う。
Roig通りの集合住宅をいろんな角度から撮る。これは旧市街におけるインフィル型の建て替えの代表例で、確かにボリュームの作り方や狭い街路に対する作りこみが面白い(ただし、Roig通りじたいは治安の悪い通りですが)。設計はJosep Llinas。ぼくはこの建築家がなんとなく好きなのだ。スペイン、より限定的にはカタルーニャでしかしっくりこなそうなデザインがよい。ちなみに、El Croquisの表紙の彼はフェランと雰囲気が瓜二つ。
サンドラ&マウリシオ邸で朝食会。朝食といっても、ブランチに近いかなりヘビーなもの。でもぼくはメキシコ料理好きなので、たいへんおいしくいただく。まあ、味のトーンが単調なのでしばらくすると飽きてしまうのがここの料理の難点なんだが。
ぼくを含めて8人で食べたんだけど、エミル(♂:ジャマイカ人)に1.5年ぶりくらいに会った。全然変わってない。彼はぼくがいるなんてことはまったく想像していなかったらしく、めっさ驚いてた。そして彼がゲイだったことが判明!いやー、サンドラがエミルのnoviaも来るよっていうから、どんな人だろうと思ってたんだけど、招待客の女性の数を勘定するとどうにも数が合わないわけよ。何気なくエミルに、あれ?彼女来ないの?って聞いたら、はにかみながら指差した先には…超美形のイタリア人。あーはん。何だよ。教えてくれよ。全然気づかなかったじゃないか。何だか妙な居心地の悪さを感じてしまい、勢いでその彼(アレッサンドロという名のナポリ人)と話し込んだ。今日はスペイン語が大変快調でしたので、エミルにも彼にもお褒めの言葉を頂きました。ヤッタネ!(などと喜んでる場合じゃない)
お昼はM邸にて手料理のランチをご馳走になる。この夫婦は人生の楽しみ方を知っていて、一緒の場にいると理由もなく和んでしまう。ぼくが和食をリクエストしていたので、食卓には色とりどりの料理が並ぶ。トマトを湯剥きして鮨酢に漬け、海苔を混ぜ込んだ前菜がたいへんおいしい。鰯の酢じめはニンニクとオリーブオイルで、こちらによくあるものかと思いきや、味のトーンは和に近い。酢を効かせすぎておらず、かつ鰯が肉厚。骨はから揚げで出てくる。風味豊かなサラダ二種。骨付き羊肉のオーブン焼き。ワインにとても合う。そしてうだうだとつまんだあと、ごはん+玉ねぎの味噌汁。満足、満足。
yokkoさんは昨日から禁酒開始ということで、あろうことかFree Damm(アルコール抜きビール)を飲んでいた。彼女がお酒を飲まないなんて、ちょっとこれはレアなことですぜ?
9:30に宿を出る。今日は土曜日なので、調査しようにも図書館は閉まっているので、ひたすらフィールドワークに没頭するしかない。週末の朝、のんびりした空気のなか、Sant Pere Mes Baixからサンタ・カテリーナ再開発地域、Allada Vermell通りの写真撮影。サン・ペレ=サンタ・カテリーナ界隈は、再生の可能性を秘めた空間になりつつあることを実感する。再開発に伴う取り壊しに抵抗する街区には、こんな垂れ幕が出ていた。
“Ayuntamiento y FOCIVESA…Los vecinos/as estamos hasta dicha obra…”
“Adéu amb el cor. Senyols: Clos, Casas, Lluchet, Katy, Carreras, Martí… El Forat mai no serà un parking”
市場に寄り、エスカローラと赤ピーマンを買い、バルでやや遅めの朝食。…を食べてたら、三好夫妻とばったり遭遇。BCNは「ばったり遭遇」しやすい町です。ぼくも住んでた頃はいろんなところで友人とばったり遭遇してた。いくつか写真撮影をしたあと、魚屋で軽くつまむ。帰宅して、トマトソースのパスタとエスカローラのサラダをつくる。作っている最中に、オーナー二人も台所へ。仕事から帰ってきたばかりの彼はたいへん空腹の様子。二人して、超肉厚のステーキを焼いていた。
夜は、ロマン&マリアナの家にて、夕食会。といっても、参加者はぼくとエレンなのですが。アレパスとか、南米料理が主体。ロマンとマリアナには、9月の滞在時には大学院のオフィスで5分ばかり立ち話をしただけだから(そういえば、そのときにサバテ教授とも挨拶した!懐かしい)、tribunalから結婚パーティのことまで、たくさん話すことがあった。これでだいぶんスペイン語の感覚が戻った。お開き後、ぼくはのんびりとロカフォルト界隈まで歩いていく。夜だったけれど、やはり3年同じところに住んでいただけあって、空気が懐かしい。メトロの駅前にはBicingの停車場ができていた。メトロで帰宅し、バタンキュー。
朝一番から調査開始。まずはForat de la Bergoña界隈をじっくり歩く。ぼくがBCNに住み始めた2003年の夏、この界隈は再開発の真っ只中で、近づきがたいとまでは言わないけれど、やや剣呑な雰囲気があった。でも、ずいぶんとよい雰囲気になってきたと思う。BCNの旧市街における多孔質化事業の、至極まっとうなプロセスを辿っている。あとは使いこなし術だろう。ランブラ・デル・ラバルが日曜市の場所として定着したように。
魚屋へ。ペペ&ホセマリアと再会。結婚パーティの報告をする。BCNに来れば、一番最初に寄りたい場所。それが魚屋。今日の魚は、久しぶりの鯵。ぼくはここの魚で鯵が一番好きだ。魚屋サラダも食べる。ここのサラダは、トマト+玉ねぎ+小粒のオリーブというじつにシンプルなものなのだが、自家製のビネガーが独特で、家で真似しようにも真似できないシロモノなのだ。
腹を満たしたあと、メトロで学校へ。図書館で論文のコピー。帰り際に3冊ばかり文献を借りる。本を抱えたままメトロに乗ると、ああ留学してたときはこんな感じで帰宅したよなあ、と懐かしくなる。今日から別のオスタルに泊まる。部屋は清潔で、オーナーのカップルがとても陽気。帰宅したら、彼氏がワインを飲んでた。ちょうど、ぼくもスーパーに寄り、1週間分の食料とビールを買い込んできたばかりだったので、ビール缶を開け乾杯する。つまみにはドリトスのコーン・チップ。1時間ばかり、主にぼくの留学時代の話で盛り上がった。
夜も魚屋へ。M夫妻と落ち合う。あたかも決まりきったプログラムのように、その後はお宅へお邪魔する。午前1時過ぎにお暇。
6:40のフライトでBCNに8:30前に到着。ホテルは予約していなかったが、以前住んでいた界隈の近くのホテルへ。一泊99ユーロ。しかし高い。何だこの値段は。土地バブルのせいで、ほんとうに貧乏旅行がしづらい都市になった。
素晴らしく地中海的な青空が広がる中、さっそく旧市街のフィールドワークへ(といっても観察したり写真を撮ったりするだけだが)。平日なのに、あまり人手が多くない。ランブラ・デル・ラバルからサン・ペレ通りへ折れ、娼婦ストリートを右手に見ながら(雲ひとつない青空と、原色のカラフルな服に身を包んだ娼婦の組み合わせ!目がチカチカする)、魚屋へ向かう。
閉まっている。
?思わずキョロキョロしてしまった。いろんなストーリーが瞬時に脳裏をよぎる。ぺぺが大事故にあったとか。でもそれならM夫妻から即効で連絡入るよな…と思いつつ。そのあと、COACへ行ったらそこも閉店!あー今日休みだわー、と思ってエレンに電話。ハイ、休みでございました。何度かブログで書いてきたことなんだけど、俺の休日の把握してないっぷりといったらない。今日は丸一日調査に使うためにわざわざ始発の便を選んだのに、これじゃただの間抜けじゃないか。
…ということをエレンと話してたら、じゃあ時間あるだろうからお昼一緒に食べましょ、とのことで、急遽彼女の家へ向かう。ベネズエラ風のステーキとグラタンをご馳走になる。彼女と会うのは10ヶ月ぶりで、積もる話もあったので、すっかり話し込んでしまい、気づいたら夕刻。その後、旧市街へ戻り、再開発跡地の写真をパシャパシャ撮りつつ、M夫妻と合流。Vaso de Oroへ。おいしいビールと、おいしいつまみ。ここはお肉がたいへんおいしい。yokkoさんがちょっかいを出してくる店員と張り合っていて面白かった。あとはお決まりのコースで彼らのおうちへ。ワインを傾けつつ、夜遅くまで。
帰りのタクシーで携帯を失くした。買いなおすか…。
研究資料ご到着
BCN, Investigación へ投稿: 10月 7, 2007 | コメントする »
船便で送った書籍20kgが届く。またもや1週間で着いた。ぼくは以前、船便で送ったら2.5ヶ月(!)かかったことが2度あって(ペセタ時代の話だけれど)、あまり積極的には船便を活用してこなかったのだが、最近のスペインからの船便はとても早い。じつは空路で送ってるんじゃないだろうか。KGくんなんか、帰国時にSAL便と船便で荷物を送ったら船便の方がはるかに早く到着したらしいし。
早起きして荷造り。帰りの便は15:45発なので、朝をのんびり過ごせるのがよい。お昼前にちょっとだけ友人つぼはちとカフェ。いよいよ30歳になっちゃうよ~という話。彼女はBCNで一番最初にできた日本人の友達。
じつは、ちゃんとしたスーツケースで外国に行ったのは今回が初めてで、慣れないながらも荷造りを完了し、我ながらうまく収まったわいと悦に入っていたら、その重量なんと38kg。俺ってば重量制限なめすぎ。ほとんど倍じゃねーか。あ、これ、チェックイン時に判明したんすよ。当然ながら再荷造り。これはもう一箱船便で送るしかないなあと思い、空港内の小さな郵便局へ(この段階では平然としていた)。し、閉まってる…!?そ、そうだ、今日は日曜日だ~。というわけで、とつぜん焦り始める羽目に。案内所で聞くと、Ibero Cargoが配送サービスをやっている(とワタシは思う)と教えてくれたので、言われた道順で行くも見当たらず。おっかしいなあ、どこだろうと思って顔を上げたはるか彼方にどでかい建物が。それがIbero Cargo。いまからあんなところまで40kg近い荷物を持って移動できるわけがない。というわけで、結局荷物再入れ替え。何とか23.5kgまで減量に成功し、見逃してもらった。やっぱり荷造りの際には体重計が必要っす。とにかく、両方あわせると50kgくらいになる荷物を抱えて動き回ったものだから汗だくになった。空港内でお土産をこまごま買おうと目論んでいたのに、結局荷物検査を終えてロビーに立ったのは搭乗開始5分前。まずはAFでパリへ。シャルルドゴール空港、順路が分かりにくすぎ。ANAのターミナルは何であんな変なところにあるんだ!誰も乗っていないシャトルバスに揺られているときの切なさといったらない。
帰りの便は、各ユニットの一番前の席だったので、足を伸ばし放題、とても楽なフライトだった。じっくり読書に耽るつもり(古本市で見つけたFabián EstapéのVida y Obras de Ildefonso Cerdá。8ユーロ!)だったのに、ぐっすりと眠りこけてしまった。留学から帰ってくる便の時もそうだったけれど、帰りの飛行機はまず自分自身が疲れ果てているし(だいたいの原因は前日の大荷造り)、何よりも感傷に浸るほど長くはないのだ。
今日は一日かけて、頼まれていた買い物をする。…が、その前に、たっぷり買い込んだ書籍・文献を送らなければならない。しかし、あいにくの土砂降り。仕方なくバスに乗り、中央郵便局へ。小さめのスーツケースに入れてきた20kgぶんの本を船便で送る。約102ユーロ。船便で送ってもこの値段だから、外国の書籍は高くなるわけだ。
まだ比較的強い雨足の中、開店直後の魚屋へ。朝の魚屋は、どこにでもありそうでどこにもないゆったりした癒しの極地のような空気が流れていて、大好きだ。朝は常連中の常連が、サンタ・カテリーナ市場で買ってきたハモンやチーズをひろげながら、好き放題やっている。あまつさえ、ホセマリアまでイスに座り、ビールを片手に一緒につまんでいたりする。ペペは勤勉だから例によってちょこまか動き回っているけれど、それでもたまにつまんでいた。ぼくが朝の魚屋が好きなもうひとつの理由は、のんびりとこの二人と話ができることだ。朝食を食べていなかったので、ブランチ代わりに鰯を一皿(今日のは大きめのが4匹)、魚屋サラダ、アンチョビで腹を満たす。ペペに勘定をお願いしたのだけれど、その直後にふとキントを飲みたくなったので追加注文。そのぶんを払おうとしたら、彼はそれを受け取らない!いいよいいよ、飲んでけ!!ってことでありがたくいただく。今回は仕事のために滞在しているので、日々少なからぬ緊張感があったのだが、この朝の魚屋で過ごした時だけは、BCNを離れていた時間なんてどこへやら、すっかりかつて「そこにあった」生活感を満喫した。
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かつて「そこにあった」生活感の喪失は、今回の滞在中ぼくを苛ませた。どういうことか?などと問おうにも、まあその文意のままなのだが、年末にプライベートで訪れた際にはそんなこと1mmたりとも感じなかったから、とても奇妙な気持ちがしたのだ。到着翌日から精力的に動いたわけだけれど、そのときから骨が喉に刺さったような違和感があった。もちろん、BCNは都市的にも地理的にも歴史的にも個人的には一番勝手知ったる都市には違いないし、友達の多くもまだそこに住んでいる。訪れる環境としては、まだまだ自分史の延長線上にあったはずなのだ。しかし、今回は心の底から湧き上がってくる純粋な昂奮に欠けた。そして留学開始直後のこと(まだ誰も知り合いがいなくて、スペイン語もほとんど話せなかったころ)なんかを妙に頻繁に思い出したりする。もはや自分はBCNの生活システムに組み込まれていないという厳然たる事実を、帰国後1年にしてようやく理解したのだ。ぼくとBCNとの距離感の変化は、自分の認識をはるかに超えて大きかった。まあ純粋に懐かしさが募る時期を越えて、そして自分のまちに戻ってきたぞという安心感を感じる時期を越えて、ぼくも「帰国した現地生活体験者」が辿る道、第二期に入ったということなんだろう。
アイディアは会話から浮かぶ
BCN, ESP, Investigación へ投稿: 9月 28, 2007 | コメントする »
早起きして身支度し、張り切って外に出る。昔、何度が言ったことのある市場内のカフェでハモンセラーノのボカディージョとカフェ。朝早くの、町が動き出す寸前の空気はなんとも言えず心地よい。おまけに今日はバルセロナ・ブルーの空が広がっている。
アルチウで資料集め。コピーも存分に使わせてもらう。ジャルマとエドゥアルドの掛け合いが漫才みたいで、机に向かいながらも思わず笑ってしまう。その後は、二人と30分ほど話し込んでしまった。ジャルマはテレビで見たとかで、どういうわけか日本の「引きこもり」現象について知っていた。
12:00~14:00までETSABにてフェランとインタビュー+打ち合わせ。この人は本当にぼくがやらんとする研究内容を理解していて、かつぼくのこともとてもよく理解してくれていて、うれしくなってしまう。昨晩、マウリシオと飲んでいたときに、「(その先生でよかったと思える)よい指導教授と巡り合えたのって、すごく幸せだぜ?」と言われた言葉を反芻する。これだけは、本当に東京でもBCNでも恵まれた。彼らのおかげで、いまのぼくがあるのは間違いないのだ。