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2007年9月のアーカイブ

帰路へつく

早起きして荷造り。帰りの便は15:45発なので、朝をのんびり過ごせるのがよい。お昼前にちょっとだけ友人つぼはちとカフェ。いよいよ30歳になっちゃうよ~という話。彼女はBCNで一番最初にできた日本人の友達。
じつは、ちゃんとしたスーツケースで外国に行ったのは今回が初めてで、慣れないながらも荷造りを完了し、我ながらうまく収まったわいと悦に入っていたら、その重量なんと38kg。俺ってば重量制限なめすぎ。ほとんど倍じゃねーか。あ、これ、チェックイン時に判明したんすよ。当然ながら再荷造り。これはもう一箱船便で送るしかないなあと思い、空港内の小さな郵便局へ(この段階では平然としていた)。し、閉まってる…!?そ、そうだ、今日は日曜日だ~。というわけで、とつぜん焦り始める羽目に。案内所で聞くと、Ibero Cargoが配送サービスをやっている(とワタシは思う)と教えてくれたので、言われた道順で行くも見当たらず。おっかしいなあ、どこだろうと思って顔を上げたはるか彼方にどでかい建物が。それがIbero Cargo。いまからあんなところまで40kg近い荷物を持って移動できるわけがない。というわけで、結局荷物再入れ替え。何とか23.5kgまで減量に成功し、見逃してもらった。やっぱり荷造りの際には体重計が必要っす。とにかく、両方あわせると50kgくらいになる荷物を抱えて動き回ったものだから汗だくになった。空港内でお土産をこまごま買おうと目論んでいたのに、結局荷物検査を終えてロビーに立ったのは搭乗開始5分前。まずはAFでパリへ。シャルルドゴール空港、順路が分かりにくすぎ。ANAのターミナルは何であんな変なところにあるんだ!誰も乗っていないシャトルバスに揺られているときの切なさといったらない。
帰りの便は、各ユニットの一番前の席だったので、足を伸ばし放題、とても楽なフライトだった。じっくり読書に耽るつもり(古本市で見つけたFabián EstapéのVida y Obras de Ildefonso Cerdá。8ユーロ!)だったのに、ぐっすりと眠りこけてしまった。留学から帰ってくる便の時もそうだったけれど、帰りの飛行機はまず自分自身が疲れ果てているし(だいたいの原因は前日の大荷造り)、何よりも感傷に浸るほど長くはないのだ。

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魚屋にて

今日は一日かけて、頼まれていた買い物をする。…が、その前に、たっぷり買い込んだ書籍・文献を送らなければならない。しかし、あいにくの土砂降り。仕方なくバスに乗り、中央郵便局へ。小さめのスーツケースに入れてきた20kgぶんの本を船便で送る。約102ユーロ。船便で送ってもこの値段だから、外国の書籍は高くなるわけだ。
まだ比較的強い雨足の中、開店直後の魚屋へ。朝の魚屋は、どこにでもありそうでどこにもないゆったりした癒しの極地のような空気が流れていて、大好きだ。朝は常連中の常連が、サンタ・カテリーナ市場で買ってきたハモンやチーズをひろげながら、好き放題やっている。あまつさえ、ホセマリアまでイスに座り、ビールを片手に一緒につまんでいたりする。ペペは勤勉だから例によってちょこまか動き回っているけれど、それでもたまにつまんでいた。ぼくが朝の魚屋が好きなもうひとつの理由は、のんびりとこの二人と話ができることだ。朝食を食べていなかったので、ブランチ代わりに鰯を一皿(今日のは大きめのが4匹)、魚屋サラダ、アンチョビで腹を満たす。ペペに勘定をお願いしたのだけれど、その直後にふとキントを飲みたくなったので追加注文。そのぶんを払おうとしたら、彼はそれを受け取らない!いいよいいよ、飲んでけ!!ってことでありがたくいただく。今回は仕事のために滞在しているので、日々少なからぬ緊張感があったのだが、この朝の魚屋で過ごした時だけは、BCNを離れていた時間なんてどこへやら、すっかりかつて「そこにあった」生活感を満喫した。
***
かつて「そこにあった」生活感の喪失は、今回の滞在中ぼくを苛ませた。どういうことか?などと問おうにも、まあその文意のままなのだが、年末にプライベートで訪れた際にはそんなこと1mmたりとも感じなかったから、とても奇妙な気持ちがしたのだ。到着翌日から精力的に動いたわけだけれど、そのときから骨が喉に刺さったような違和感があった。もちろん、BCNは都市的にも地理的にも歴史的にも個人的には一番勝手知ったる都市には違いないし、友達の多くもまだそこに住んでいる。訪れる環境としては、まだまだ自分史の延長線上にあったはずなのだ。しかし、今回は心の底から湧き上がってくる純粋な昂奮に欠けた。そして留学開始直後のこと(まだ誰も知り合いがいなくて、スペイン語もほとんど話せなかったころ)なんかを妙に頻繁に思い出したりする。もはや自分はBCNの生活システムに組み込まれていないという厳然たる事実を、帰国後1年にしてようやく理解したのだ。ぼくとBCNとの距離感の変化は、自分の認識をはるかに超えて大きかった。まあ純粋に懐かしさが募る時期を越えて、そして自分のまちに戻ってきたぞという安心感を感じる時期を越えて、ぼくも「帰国した現地生活体験者」が辿る道、第二期に入ったということなんだろう。

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早起きして身支度し、張り切って外に出る。昔、何度が言ったことのある市場内のカフェでハモンセラーノのボカディージョとカフェ。朝早くの、町が動き出す寸前の空気はなんとも言えず心地よい。おまけに今日はバルセロナ・ブルーの空が広がっている。
アルチウで資料集め。コピーも存分に使わせてもらう。ジャルマとエドゥアルドの掛け合いが漫才みたいで、机に向かいながらも思わず笑ってしまう。その後は、二人と30分ほど話し込んでしまった。ジャルマはテレビで見たとかで、どういうわけか日本の「引きこもり」現象について知っていた。
12:00~14:00までETSABにてフェランとインタビュー+打ち合わせ。この人は本当にぼくがやらんとする研究内容を理解していて、かつぼくのこともとてもよく理解してくれていて、うれしくなってしまう。昨晩、マウリシオと飲んでいたときに、「(その先生でよかったと思える)よい指導教授と巡り合えたのって、すごく幸せだぜ?」と言われた言葉を反芻する。これだけは、本当に東京でもBCNでも恵まれた。彼らのおかげで、いまのぼくがあるのは間違いないのだ。

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19:00から論文発表。スペイン人の教授5人を前に日本人がBCNの研究論文を発表する、というのも、冷静に見るとなかなか面白い。QAセッションは、ちゃんと反駁できたのもあり、ちょっとそれは的外れだなあというのもあり。往々にしてありがちだが、教授の間で別の議論が始まったり。こちらの人は抽象的な議論にけっこう大きなウェイトを置いていることを再認識。まあぼくはぼくでcentro historicoの概念議論はちゃんとしたのだけれど、espacio publicoとは?とかそもそもespacio publicoというものは定義できるのか?とか、なかなか日本語でも答えるのが難しい(あるいは日本語だから答えるのが難しい)質問もあった。まあともかく、とても刺激に満ちた2時間だった。
帰り、遠回りして魚屋に寄る。とても混んでいたが、定位置(電話の下)にいくとすでにぼくの鰯とワインが置いてある。ホセマリアが目配せ。仕事後の魚屋、彼らとの会話、旧市街の空気、歩きながらの空想。これ以上、何を望もうか。

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朝早くの便でBCNに戻ってくる。ホテルに着いたのが正午前。その後、ひらすら調査&作業。体は疲れていたが、意識は覚醒していた。昼食は近くのカフェで軽くボカディージョで済ませ、夕方前まで作業。16:30にFerranとmtg、2時間ほど議論をつめる。
帰り際、とても久方ぶりに癇癪玉ことミケル・ビダル先生と遭遇する。懐かしくなって、少し近況報告したら、先生がまず一言「君、スペイン語上達したね~」。思わず吹いた。だって、今回の滞在で少なからずげんなりしたのは、ぼくのスペイン語がかなり怪しくなっていたことなのに(ま、元から怪しいスペイン語には違いないのだが)。でもよく考えてみると、ぼくが彼の授業をとって課題の発表をやっていたのは留学半年くらいのときで、そりゃ比較対象があの時だったら上達したと思うわな。そういえば、携帯を変えたときに昔の電話帳に入っていた友人に電話をかけまくったのだが、留学して本当の最初にできた友達のQuimとおそらく3年半ぶりくらいに話したときも同じことを言われた。とほほ、最初の1年の俺のスペイン語って、そんなにダメダメだったのね。ビダル先生とは、5分弱だったけど、メトロの駅まで歩きながら話す。
空腹を感じたので、宿近くで手ごろなレストランを探し、夕食をとる。肉厚のイカがおいしかった。

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ぼくが発表するセッションは午後4時から。会場に入り、とりあえずモデレーターの先生(デンマーク人)に挨拶し、助手の方に発表用PPTを渡す。そして、会場の後方に陣取り、脳内で発表練習開始。…と思いきや、開始時間の直前、壇上に呼ばれる。ちょ、ちょっと、これって普通の学会発表じゃねーの?もしかしてオイラってばパネリスト扱い? 机に高そうな水とか置いてあるし!ってわけで、なんだかとても動きの取れない2時間を過ごすことになった。
発表はまあ、なんとかこなしたけれど、英語の訓練の必要性を痛感した。ぼくは「日本人にしては」英語はまあまあ話せる方だと思うけど、それはあくまで「日本人にしては」であって、こうしてみんな何の困難もなく英語を話している中に身をおくと、どうしても「英語の下手な日本人」代表に格付けされることになる。国民のみなさま、すんませんでした。なーんてね。というか、準備不足がたたった。本論のプレゼンテーションよりディスカッションの時のほうがペラペラ喋っていたと思う。でも、最後の方でぼくに質問が振られて、適当に答えたんだけど、オーディエンスの反応がすーっと引いていくのがなんとなく分かった。要するにぼくの答えが質問の意図からどんどん離れていったのだろうけど、あの感覚は独特でした。ま、そういうのも含めて、大変勉強になりました。
その後、シャンパン・ブレイクや国際学生コンペの授賞式、簡単な夕食会があったのだけれど、やたらめったらスペイン語圏の人と知り合った。というか、スペイン語が耳に入ったらすべからく声をかけただけなんだけども。プエルト・リコ人×2、スペイン人×2(ELISAVAのカタラン人+グラシア在住のバスク人の土木技師)、コンペで3位に入選したメキシコ人学生(夕食時におめでとう、と声をかけたことから話が弾んだ)。そして帰りのバスの中で、彼らと軽口を叩いていたら、通路を挟んで横に座っていた中南米人2人組から、突然「エレン・バロッソの知り合いじゃない?」と声をかけられた。知り合いも何も、エレンはぼくのBCN時代の大親友だ。じつは彼らの片方の女性は、2004年にBCNでIPHSがあったときにエレンの紹介でぼくと会ったことがあるらしい。What a small world. そんなこんなで、バスを降りてからみんなで一杯飲みにいった。疲れていたけれど、それなりに楽しい夜ではあった。
面白かったのは、彼らの多くに「君のスペイン語は、本国で勉強した人の発音・アクセントだね」と言われたこと。ぼくは親友のほとんどが中南米出身だし、同居していたのも継続して中南米人だったせいもあって、BCNにいるときは中南米人にすら「お前は中南米人のアイノコみたいな喋り方をする」と言われたりしたものだったのだけど。帰国して時間が経って、2週間弱スペインでスペイン語回復に努めたからだろうか。不思議な体験でした。

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発表は夕方前からだが、とりあえず様子を見るために会場まで歩いていく。地中海都市とはまったく別世界の風景。建物がかっちりしている。
会場の裏口で、何とO西先生とばったり遭遇する。今回の出張は教授陣との遭遇率高し。ぼく以外の日本人はいないと思っていたから(学会HPのプログラムには論文発表者としてぼくの名前しかなかった)、かなり面食らった。
会場に入って、ぼくは腰を抜かしそうになった。何だ、この人数は!てっきり100~200人規模の学会かと思っていたら、優に500人くらいいるんですけど!朝一番でこれってことは、午後にはもっと増えるのか…?少し準備不足の感があったので、午後の自分の発表が心配になる。しかし、知り合いが誰一人いないぼくのような若造は、国際会議の会場でできることなんて限られている。人間観察に勤しむことくらいだ。かといって、行き当たりばったりに誰かに話しかけたところで会話に行き詰ることは目に見えている。
手持ち無沙汰だったので外に出て(発表の練習でもしておけばよいのだが)、近くのカフェに入ってブランチをとる。チーズのサラダで、野菜自体はとてもおいしい。しかしこれが100DK(約2100円)!いくら物価高のBCNから来たとはいえ、もう根本的な物価が違うとしかいいようがない。コーヒー一杯が1000円くらいするという噂も聞いていたのだが、ぼくが注文したのは600円程度だった。まあ、味は特別おいしくもなく、まずくもないレベルだったけれど。
お昼からのハーバーツアーに参加。バスで隣同士になったオーストリア出身コペンハーゲン勤務の建築家の方と少し話す。この学会の規模の大きさを示すかのように、100人近く収容できるボートが合計6艇ほど出ていた。運河沿いの開発をクルーズする。大型開発には違いないのだろうけれど、それでもやはり密度的には大変上品でした。住み心地はよいのだろう、賑やかさには欠けるだろうけれど。
結果的には(というか最初から容易に予想されていたことだが)、これがコペンハーゲンにおける最初にして最後の周遊となってしまった。日程の都合とはいえ、ストロイエすら回れなかった。ストロイエといえば歩行者専用空間化のお手本的事例。残念無念。

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10:30から1時間半、Ferranとtribunalについての作戦会議。とてもよいアドバイスをもらったのだけれど、先生それあと2週間前に言ってくださいよ。ただでさえスペイン語がだいぶん衰えた状態で来ているわけですからワタクシ。論文そのものの内容についてというよりも、枠組みの見せ方をどうするかについて議論する。最後に、Ferranが委員会に提出したInformeをもらう。指導教官が書く自分の評価書って面白い。その文面の中で、BCNと東京の比較研究がいかに意義があることかが力説されていて、思わずにやけてしまった。
今日はひたすら作業+調査で終わりそうです。
(いつもは違うのかよ、というツッコミはなしの方向で)

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朝から学校の図書館で調べもの。S教授と合流し、まずAteneu Popular de Nou Barrisへ。でもTrinitat Vellaだと思ってたらじつはTrinitat Novaが最寄の駅だったという、とても単純なミスを犯してしまった。あのあたりは、在住暦が長くてもあまり積極的には出向かないところなんだな。アテネウのディレクターたちは英語に堪能というわけではなかったので、少し補助した。でも、こういう地元色が強烈なところのスタッフまで英語喋るんだね。感心した。アテネウの活動はとても興味深かった。詳しくは書かないけれど、integracion socialの第一歩であることには違いないだろう。ランチは、アテネウの建物内にあるバルでとる。特においしくはないけれど、家庭料理風のほっとする味だった。
ポブレノウへ移動して、HANGERでインタビュー。個人的には市の22@との関係が気になった。敷地も議論の絶えないCan Ricart。内部に入って写真取れたのはよかった。主に民主化後からポブレノウには独立系のアーチストが居住し始めて、このアトリエはアーチストたちのコラボの先駆けなのだろうけれど、やはりぼくには彼らのこれまでの活動経緯と彼らのアトリエの眼前で繰り広げられている再開発に連関は見出せない。じっさい、Can Ricartは陸の孤島になってしまっている。こういった囲い込みは、90年代以降の市の常套手段なのだ。

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朝一番から、大阪市大のS教授と調査をご一緒する。ぼくは通訳補助(彼らが英語を話せない場合に)+プランナーとしての論点の提起が役割。まずは市の文化局のJordi Pascual氏。Agenda 21をはじめとするBCNのpolitica cultural全般について説明を受ける。
昼過ぎからは22@SA。ここには留学時、N山教授とともにインタビューをしたことがある。説明はとても整理されていて素晴らしかったのだけれど、どうもしっくりこない。プロパガンダの側面があまりに強すぎるのだ。この再開発事業はコンセプトレベルではとてもよく練られていると思うけれど、そのツールならびに実際できつつある空間はあまりに問題がある。手法的には、日本で言う特区的な考え方が原則にあるので、コンパクトシティを標榜している都市としては時代遅れと言われても仕方ない。用途の混在を打ち出してはいるものの、お情け程度に過ぎない。街区での将来的な生活像がビジュアライズできないのだ。
こちらの人ってスタンディング型の建築をつくりたいのだろうな、と思う。セルダ街区を引き継いで、囲い込み型の街区としてうまく造形するのは流行じゃないのだろう。JJOOのころと違い、市も建築家もBCNらしいソーシャリズムを忘却しつつある感がある。ぼくの想像力が欠乏しているからだとは思うけれど、22@事業がポブレノウの「伝統的な雰囲気を継承」(プランの文言)しているとは到底思えない。PNの旧市街はとても親密な雰囲気に満ち溢れているのに、一歩その外側に出て再開発地区を見ると、そこに広がるのは狂喜乱舞する現代建築。がっくりきてしまう。El proyecto de 22@ no tiene nada que ver con el resto de Poblenouと意見したのだけれど、それに対する応答がこれ。「ああ、でも旧市街は事業範囲外ですので」。あちゃー。PR部門のトップの答えがこれじゃあ先が思いやられる。だって、こんなのどこの側面から見てもPNの既成市街地を囲い込むだけじゃないか。彼らは発表慣れしていることもあるのだろうけれど、全般的に機械相手に話をしている気持ちになった。もうすでに彼らの中に問答集があるんだよ、あれは。特に批判に対しては。保守的な行政を相手に質問しているみたいで、正直あまり気分はよくなかった。
ここで午前中のパスカル氏の話を思い出した。BCNは民主化~JJOOまでの間にあらゆる社会階層を巻き込んだ一大社会運動が生まれ、最終的にひとつの政治モデルにまで昇華されていったわけだが、現在の市は当時の体制への回帰を少なからず希求している、というのだ。それが本当であるならば、22@はまったく逆の路線を走っている。頭ばかりがでっかくなって、自分がどこを走っているのかが見えていないんじゃないか。ま、とても興味を惹かれるプロジェクトには違いないので、今後も追い続けます。近いうちに一本論文を書けるといいなあ。
その後、Interartsへ。なんだか活動内容がよく分からなかった。最後に、UBの地理歴史学部のLluis Bonet教授を訪ねる。文化観光の専門家で、ぼくは彼がBCNの観光効果について書いた論文を読んだことがあった。気のよい先生だったが、カタラン主義的なコメントがそこかしこに顔を覗かせていた。彼のお父さんはサグラダ・ファミリアの修復に関わった建築家らしい。
1日に4つもインタビューをこなすと、さすがにぐったりする。そして、活力漲るカタラン人知識階級に連続で密度濃く触れて、カタラン人疲れした。移動途中に乗ったタクシーの運ちゃんとのサッカー談義にどれほどほっとしたことか。カタラン人って独特の威力があるからなあ。迫力というか。ちなみに今日お会いした男性は、Bonet先生以外は全員Jordiという名前だった(ちなみに先生のお父さんの名前もJordiらしい)。

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できれば顔を出したくなかったのですが、事務手続きが必要だったので顔を出してきました。丸太&ヌリアが鎮座する事務所へ。そうそう、この感覚!この、恫喝されてる感覚!!ってホント勘弁してくださいよ。丸太もヌリアも、まあそれはそれは素晴らしい感じにつっけんどんでした。1年ぶりなんだから、ちっとは懐かしがれよな。世界中の誰よりずっと愛想がないふたり。彼女たちに比べたら、職場の事務なんてかわいいもんです。
tribunalの詳細が決まった。Ferranの他には、ななななんとManuel Torres Capell!そんな大御所が俺の発表に!?うれしい反面、たちまち気が重くなってきた。ぼくの研究分野で言えば、外国人がIY先生の前で東京の計画史を発表するようなものです。これにMaria Ruberto de Ventos先生とIsabel Castiñeira先生。どちらもよく知らない先生。授業をとった覚えもない。最後に、外部からRosa Tello先生(バルセロナ大学)。半分以上が女性教授。Sea suave…
夜、練習が終わったTAKA夫妻と魚屋へ。彼らは外国滞在者にありがちな気負いや嫌味がまったくなく、一緒にいてじつに気持ちがよい。お土産(味噌ラーメン)もとても喜んでもらえてよかった。滞在中にもう一回くらい飲みたいね。

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日曜のスペインでは、のんびり過ごす以外やることがない。一縷の望み(?)を賭けて、日曜開館の図書館を探してみたけれど、そんなのあるわけないよな。日曜でもどこかやってるんじゃないかという発想自体、完全に東京思考なり。やはり3年過ごしたくらいではこういう生活習慣・文化は自分のものにならないよな。留学時の日曜に何をしてたか思い出してみると、美術館に行ったり映画を見たり、普段読めない本をゆったり読んだりと、「ゆったりするために」ゆったりする生活だった。
というわけで、午前中は部屋で作業。でも祭りが近いからか通りは大変な人出で、あげく地元のブラスバンドが大演奏してるものだから、いまいち集中できず。そこに三好さんからTELがあり、昼食の提案。ボルンのお宅まで歩いていく。途中、シウタデリャ公園を歩く。BCNはこれまでの都市事業の成果がほんとうに分かりやすく残っている。セルダの拡張市街地以降で最初に実施された都市改造は1888年の万博開催に関連する整備だけど、市内ではお目にかかれない、ある意味万博的で後に我々がパリ的と感じる(BCNの万博のほうが先なのだが)都市美の手法がふんだんに用いられている。
カフェ三好では、yokkoさんお手製のアーティチョーク(葉の間にパルメザンチーズと細かく刻んだにんにくが入っており食べ応えがあった)と無花果サラダ、メインに三好さん特製のシーフードカレー。すごくコクがあったからなぜだろうと思ったら、隠し味にエビ味噌を使っているとのこと。満腹、まんぷく。その後、きのうの調査の続きで、旧市街の写真を撮りに。
夜はサンドラと待ち合わせ。久々だったので話題は尽きない。遅れてアレハンドロも登場。相変わらずさわやかすぎる。歯が白い!白すぎる!彼を効果音で表すと、「キラーン」(歯が)。

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時差ぼけのせいか朝早くに目が覚めたので、海岸線をディアゴナル・マルまで30分ほどジョギングする。思ったよりも多くの人が走っていた。
朝食後、三好さんと待ち合わせ、仕事関係の写真を撮りに出かける。Torre Agbarに9:00集合だったのだけれど、途中で声をかけてきたエクアドル人の学生に道を教えてあげてたりしたら遅刻してしまった。その後はひたすら調査。三好さんとはいままで散々BCNの都市空間について議論してきたけれど、踏査をご一緒するのは今回が初めてだ。一緒に歩きながら、建築と都市の視点の違いがとても勉強になる。たとえばヌーベル設計の公園。柵がもったいないねという話と、ディアゴナルに面している敷地に公園を整備する発想じたいがやはりすごいという話。
22@⇒ディアゴナル沿いの開発⇒22@⇒ディアゴナル・マル⇒フォーラムを回る。だいぶん写真のストックができた。Forumで開催していたBarcelona projectaを見る。これはBarcelona progresの発展版で、現在進行中のプロジェクトの図面や模型が広い展示場に設置されている。うまくいきそうなプロジェクトと難しそうな(あるいは空間的に価値が減少するんじゃないかという)プロジェクトの差異が明白で興味深い。都市再生に成功したBCNが向かう次なるステップは、案外雲行きが怪しいのではないかという個人的な仮説は、じつはそんなに間違っていないと思った。まあ、いずれにしても、賛否はあれど進行中の事業をビジュアルに展示する壮大な努力は、BCNの面目躍如だと思った。でもForumは遠いよ…実際、中はがらがらだったし。ディアゴナル沿いの開発に夢中で、フォーラム近辺の整備を忘却してるんじゃないの?と思った。じじつ、Rambla de Primとのつながりもよくわからないまま。異なる特質をもつ各界隈を統合していくその妙こそが、BCNモデルの真髄のはずだけれど、グロリアスから海へと向かうその両側の界隈は、どうも明確な戦略に欠けているように思う。事業の連鎖的展開があるわけではないし、大部分は民間事業だから風景の統一感もまるでない。新規住宅は安普請で、壁なんかぺらぺら。一目見るときれいなんだけど、どこか新品の消しゴムみたいに映る。いっそのこと、安いestudioを増やして学生街でも計画すればいいと思うよ、皮肉でも何でもなくて。
昼に一度三好さんと別れ、ぼくは旧市街の多孔質化事例の写真を撮りに行く。ample通りで、自転車に乗った兄ちゃんが声をかけてくるから誰かと思ったらpapabubleのトミーだった。久々だったけれど、10分くらい立ち話。10月に東京に行くから会おう、と話。今度NYにも出店するとのこと。
昼食は三好夫妻とバルセロネータのKaikuへ。夫妻お薦めの店で、メニューはカタラン語のみ。だいたいにおいて、こういうレストランはおいしい確率が高い。実際、たいへんおいしかったです。フォアグラのサラダ・ラズベリーソースとハモンセラーノ・無花果+キャラメリゼした玉ねぎ添え、マッシュルームをまるごとコロッケ状にあげたもの(絶品の一言)、ホタテ(甘酸っぱいマスタードソースとよく合う)、野菜のパエーリャ。今日はとても温暖だったせいもあってやたら賑わっている浜辺を見ながら、テラスで食べる。海風がほてった頬に気持ちよい。幸せな昼食でした。
夕方帰宅、宿近くのスーパーで買い物。夜は軽くトマトソースのパスタで済ませる。
机に向かい作業を開始するも、強烈な眠気に襲われ、22時前に床に就く。

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今日はみっちり調査をする予定だったのに、のっけからつまづいた。というのも、携帯電話が止まってしまったからだ。いやー、昨日から電源は入っているのに繋がらないからオカシーなと思ってたんだよ。vodafoneショップに行ったら、está desactivadoってアンタ!話によると、recargaが切れた状態で半年以上経過すると使えなくなるらしい。そんなん知らんがな。今回の滞在は比較的長いし、先生や友人と連絡手段がなくなるのも不便なので、仕方なくFNACで一番安いのを買う。何この留学したての2003年7月みたいな状況は。
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COAC⇒行きつけの古本屋で文献チェック。残念ながら、とくに興味を惹くものはなかった。あー買っとくか、というレベルの本はたくさんあったけれど。
その後、アルチウへ。Eduardoがニコニコしながら手を差し伸べ、ぼくを抱きしめる。すげー肉厚なんですけど。肉厚なんですけど!!ぼくのことを懐かしがってくれる人がいるというのは、やっぱりうれしいね。奥からGermàも出てきて、再会を喜び合う。そしてFOCIVESAに関する新しい資料をくれた。留学時代には、ここは俺の研究室かというくらいの頻度で通い詰めていたからか、アルチウの人々は本当によくしてくれる。今回は旧市街のリサーチというわけではないけれど、時間を作って少し通おうと思う。
1時間くらい調べものをした後、かつて住んでいたロカフォルト界隈まで歩く。mercadonaの内部空間が劇的に変わっていた。まるで別のスーパーみたいだった。タラゴナ駅からメトロに乗り、大学へ。ガラガラの6階PCルームで発表用PPTの作成を進める。

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8ヶ月ぶりのBCNである。今回はANAでフランクフルト経由。機内で何と東工大のN先生に遭遇する。びっくらこいたよ、まったく。
LHに乗り換えて、BCNに到着したのは20:00前。ロビーに出ると、懐かしい洗剤の匂いが漂っている。今回も、匂いによってスペインを実感することになった。…などと感慨に耽っていたら、レーンAに行くべきところを、機内で少し話したドイツ人カップルとともに、間違ってBへ行ってしまう。いつも思うけど、Prat空港の荷物案内情報は不親切だ。仕方ないので、いったん外へ出て再びターミナルAへ行き、手荷物検査を受ける。やれやれ。
タクシーでポブレノウへ。メルセーさんと久しぶりの再会。相変わらずの笑顔に癒される。今回は本館から少し離れたestudioに泊まる。estudioの入り口で、メルセーさんのお母さんにたまたま出会う。荷物を入れやすいよう、ドアを開けてまま支えてくれた。しかし建物は古く、エレベーターがない。しかも廊下の狭さったらない。天井に思い切り頭をぶつけて眼前に星が舞う。トランク2つを部屋に入れるまでですっかりへばってしまった。途中、お母さんが部屋から出てきて、コカコーラの缶をくれた。
とにかく喉が乾いていたので、外に出てまず目に付いたバルに入り、カーニャを飲む。メトロに乗り、魚屋へ向かう。歩きながら、今か今かと気ばかりが焦っていた。もう、本当にもどかしかった。ずっと空想の中で散歩していたルートを、寸分の狂いもなく歩く。そして我が聖地、魚屋へ。街路にまで人があふれるほど、昨日は大盛況だった。朝の千代田線並みの人ごみをかき分け、壁際の定位置へ行くと、ぼくに気づいたぺぺが握手を求めてくる。ホセマリアとも再会を喜び合う。懐かしい我が家に帰ってきたような感じがして、とにかくうれしい気分になる。そして揚げたての鰯とピンチョを一皿ずつ、赤ワインを3杯飲む。少し暇ができたホセマリアと話していると、「そういや、お前の友達夫婦、5分前までここにいて、お前がいるかどうか探してたよ」という。そんなの三好夫妻以外にいるわけない。
というわけで、魚屋のあと、三好邸へ押しかけた。ブザーを押しても反応がなかったので(というかぼくが押したのは違う部屋だったらしい)、ピソへ向かって狭い街路から「みよしさ~ん」と呼びかけるという荒業。ほどなく、怪訝そうな表情をした三好さんがベランダから顔を出した。そして「あれ~!?」という声。夕食中にお邪魔することになってしまった。で、例のごとく話が弾みに弾んでしまい、気づいたら午前2時。

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